
2008年4月6日の食生活-写真メモ
みちの授乳期から社会人6年生までの食生活の歴史
前回から不定期で始まった運営者の自己紹介記事。
今回は食生活の歴史・遍歴・移り変わりです。
まぁ食べ物の好みを振り返ると、思い出せるもの、記憶に残っているものって、随分エピソード化できますよね。
皆さんにもあるでしょ。
思い出の中にある食事風景。
私みちも、その時代時代に体験したエピソードを交えて、何をどんなふうに食べていたか、面白おかしく書いてみましょう。
それでは本文スタート。
授乳期の食生活
授乳期・・・ってこれは思い出と言うよりも、母から何度も聞かされた話。
生まれたころ、他の赤ちゃんは産婦人科で40ccしか飲まなかったのを、みちは70cc飲んでも泣き止まなかったらしい。
それで足りないのかと、もっとミルクを与えたら、今度はそっぽ向いたんだとさ。
生まれてすぐにそんなに飲みたいわけないと思うんだがなぁ。
多分何か気に入らなかったことがあったんだろう、思い出せないけれど。
保育園時代の食生活
保育園から小学校にかけての期間。
保育園のときは非常にしっかりして周りに気を配って、何でも素早く的確に行動できました。大人になるにしたがってただの凡人になっていくパターン。
そんな気をつかう子供時代。
保育園で食事をしているとき気分が悪くなりました。
急に吐き気をもよおして、ウェーッって吐いたのはいいけれど、それを悟られたくないばっかりに、息を押し込めて、その飲んでいたプラスチックコップの中にゲローって吐いて戻してしまったのです。
しまったー。これどないしょう・・・
子供心に焦りました。
吐いたことすら悟られたくない。かくなる上は・・・またズルズルズルと、吐きそうになりながら、吐いた液体をまた胃の中に戻すこと約5分間。
もう思い出しても、なんちゅう子供やったんやと、振り返れば思います。
小学生時代の食生活
母ひとり、子ひとりの鍵っ子。いわゆる母子家庭。
今でこそ珍しくないかもしれないけれど、母親だけしか親いないってのが染みついてました。
だから母は働きに出て、いつもひとりで食事。そのころからひとりで生きることに慣れていました。
食生活を思い出すなら、いつも大豆100%の豆腐とべったら漬け。これが定番のおかず。
近所に生粋の豆腐屋さんがあります。今でも店があるから、今でも夫婦でそこの豆腐食べてます。これめっちゃうまい。
小さいころから本物の豆腐を食べていたのでスーパーの安物の豆腐と名がつく四角いアレは「豆腐のような食べ物」としか認識していません。味が全く違う。
自慢の豆腐は今なら百貨店で500円以上するのと同等のクオリティなんだなぁ。それが今でも180円で一丁食べられるのです。
中学時代の食生活
思い出すのは中学校に行くときの弁当です。
母が作ってくれたのですが、いつも汁物ばかり。
肉じゃがの汁だく。サバの生姜醤油煮の汁だく。
何でもかんでも汁だらけ。
パッキンもないアルミの弁当にそのまま入れられて弁当袋はいつも汁のシミの跡が消えることはなかった。
卵焼きやシュウマイ、ウインナーのような汁のないおかずを持ってきている友達が羨ましかったのを思い出すのでありました。
社会人6年目からの食生活
時は流れて中学から一気に社会人6年目へとハナシは飛びます。
炊事・洗濯・掃除が出来るようになったみちはひとり暮らしを始めるのでありました。
やっと母親の料理から解放されるうれしさ。
『自炊三昧』がこの時代のキーワード。
1日3食ともに自炊ライフ。昼は職場に弁当を作って持って行ってました。
近所には大阪名物「スーパー玉出」があります。
安かろう・ウマかろうと思っていた安売りのスーパー玉出。
1000円以上買ったら1パック1円の玉子、10円のもやし、1gで1円の豚肉など、ともかく自炊で食費を削ってました。
そのあとの食生活は『後編』に続く
ちょっと待った。ここまで書くのに約15分くらい。
すらすらすらと書けたけど、振り返ればこうです。

まったく短文記事になってないやんか
なのでこの続きは次回の記事に続きます。
続きはこちら
会社員辞める前から現在の食生活について書いてます。
ここまでのまとめ
書いたのはいいけれど、まだまだ書きたいこと山ほどあります、出てきます。とんでもなく出てくるのです。
記事冒頭の写真メモは、みちのローカル日記によりますと2008年4月6日に食べたであろう、場所も何処か思い出せない写真記録メモなのであります。

フツー、食べた後の食器は写さんやろ。なんで写したん?

2008年4月6日の食生活-写真メモ
ねっ、ネタはいっぱいあるでしょ。もうそれはそれはネタに困ること当分ないです。
この記事も【食生活の歴史目次編】になってしまう可能性あるかも・・・